屋号を麻雀で賭けた祖父が、最後に残した一枚のルーズリーフ
noteを毎週書いている。
特に世の中に訴えたいという思いもない。
何かしら毎週書く、継続する修行だと思って書いている。
修行とは別に最近では、webの世界に自分の書いたモノや音楽などがあると、AIの学習材料になるだろうし、どこかの誰かのほんの小さな何かのきっかけになるかもしれないとも思ったりして。
デメリットもあるかもしれないけれども、何者でもないおじさんの戯言などどうでもいいだろう、とりあえず、継続、やってみている。
数年後、数十年後、誰かが読んで、へぇとか思ってくれることがあるかもしれない、という期待もないわけではない。
頑固でシャイな祖父の話
寡黙でシャイ、心配事があると怒鳴り散らかす、ちょっと恐ろしくも優しい祖父だった。
魚関係の仕事を「米田商店」の屋号でしていた。その影響か、色んな魚をもらったり、向かいの漁師から大きな水蛸をもらったり、ほぼ毎日食卓に並ぶのは魚料理だった。
母が気を効かせて、時々、子ども向けの肉料理、ハンバーグなどを出してくれたこともあるが、そんな料理は私が喜んで食べるだけで、祖父は魚を食べていた記憶しかない。
同居していたにも関わらず私の祖父と話をした記憶はない。
幼稚園の頃、毎朝一緒に「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」「水戸黄門」などの時代劇をテレビで見ていたなぁ、という思い出くらいしかない。
あのテーマ曲を聴くと祖父を思い出す。
祖父が屋号を賭けた夜
一つのエピソードとして祖母から聞いて覚えている話がある。
仕事仲間と麻雀をして大負けし、賭けるお金も無くなった祖父。
熱くなった祖父は屋号の「米田商店」を賭けた。
結果、負けて、「米田商店」の屋号は仕事仲間に取られたそうだ。
屋号の権利移動がどのように行われたか、詳細は知らないが、乱暴な漁師たちとの話だから、テキトーな話であったのだろうと想像できる。
だって、「米田商店」の屋号を麻雀で負けて取られたと聞いた祖母は激怒して取り返しに行き、ちゃんと取り返したと言うんだから。
祖父の事を何も知らない私
私が中学、高校くらいになった時、戦争に行った祖父の話を聞いてみたかった時期があった。
単純に戦争に行った体験談を本人の口から聞きたかった。
しかし、祖父は語らなかった。
後に母から聞いたが、祖父は語りたくなかったし語れなかったらしい。
戦争の記憶は、たぶん言葉にできないほど重かったのだと思う。
母も聞いてみたが、話をしてくれなかったらしい。
度々、祖父のことを私は何も知らないなぁ、という話を母としていた。
母はそんな話を覚えていて祖父に色々聞いていたようだ。
晩年、祖父は年齢的に仕事をすることをやめた。
それからまた数年して、本格的に仕事はやらない!と決めたのか「米田商店」の看板を下ろすことにした。
確定申告も面倒だし、廃業届を出したということなのだろう。
この時を境に、急に祖父は認知症となり進行も早く、あっという間に寝たきりになった。
看板を下ろすことは、人生の一区切りを意味していたのかもしれない。
祖父・祖母の死から数年後
祖父も祖母も亡くなって数年後、帰省した時、母が思い出したように1枚のルーズリーフを出してきた。
「実は、おじいちゃんに自伝というか、自分のこれまでの事を書いて貰っていたのよ。まぁ、ああいう人だったからすごい短いんだけれど」
ルーズリーフの表裏に、ゴツゴツした字で何か書いてある。
5人兄弟の末っ子の次男として生まれたこと
尋常小学校を卒業した後、5年の約束で丁稚奉公に出るも3年後徴兵されたこと
生死苦楽を共にした戦友と別れ仕事をするも、強制的に実家に戻されたこと
などなど、時代背景もあれど、波瀾万丈なメモ。
現在に至る。
と〆られている非常に淡白な自伝とも言えないメモではあるが、祖父の断片がそこにはあり、非常に興味深く、もっと深く聞きたかったなぁと思った瞬間だった。
もっとも、祖父は何も語ってくれなかっただろうが。
「おばあちゃんのもあるのよ」
なんと、祖母のも出てきた。
こういうところの母のシゴデキぶりには驚く。
書くことは、残すこと。
「残す」という行為は、誰かに何かを伝えるためだけじゃない。
その人が「生きていた証」を、どこかに刻んでおくための行為でもあるのかもしれない。
だから、何者でもないおじさんが、何かを書き残すことにも、多少の意味はあるかもしれない。
たとえ砂金を探すような確率でも、ロト7で1等が当たる確率でも、誰かがいつか拾い上げて、「へぇ」と笑ってくれるかもしれない。
修行は続く。
*今現在、家族ですら全く興味を持たない本note