2度目の東京オリンピックと明るい葬式
坂を登って、いつものお店をに入ったら、カウンターにMどりちゃんとEGちゃん(男)。Mどりちゃんは年下の男と結婚が決まったそうだ、おめでとう。 昨年仕事をリタイアしたEGちゃんは暇を持て余し相当なテレビウォッチャーになっているようで、話題はオリンピックに。
「もうすぐソチ五輪じゃん?スキージャンプは俺好きでみるんだよ、あと滑降ね。迫力スゴイじゃん。深夜2時に女性ジャンプがあるよ。もう、楽しみでね。
イベント的な注目は6年後の東京オリンピックね。俺、今年70歳だからなー、観られるかなー、観たいな。観られたら、俺、2度目の東京オリンピックなんだよね。
前の東京オリンピックは1964年だから、俺が19歳の時。 当時はカラーテレビが出始めで、カラーで観られる番組は新聞のラテ欄に、「総天然色」とか「フルカラー」とか書かれてたかな?俺なんか金なかったからテレビ持ってなくて。オリンピックは持ってるヤツのところ行って観せて貰ったりしたな。
でね、開会式で、日本というのは素晴らしい、となったわけ。1秒間に2歩、歩幅は70cmってルールだよ。ピシっ!としてたからすばらしい入場行進だって。 あと白黒テレビで観たのは、バレーボールね。東洋の魔女。観たのはそれくらいかな。
実際に観たのは、5機の飛行機が煙で輪っか作って五輪のマークにしたの。すごい天気も良くってさ、もうそりゃー、感動したよ。 外で上みたら観られたから、タダだったし(笑)。これも10月10日の開会式の話な」
昔の渋谷の町並みや雰囲気の話は聞いていたので、敗戦から19年、高度経済成長に足踏み入れたくらい?なので、当時のムード含めて、とんでもない国際イベントだったんだろうなーと、想像できた酒飲み話。
オリンピック開催における熱量というか、重要性というのは、オリンピックの身代金(上) (角川文庫)を読んでも感じられたなー。さて、6年後はどうなるのでしょうか? ちなみにEGちゃんが観たという空に描かれた五輪マークは、航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」が何百回と練習したけど成功せず、本番では成功できたらしいですね。
当時の様子の色々はコチラに載ってます。 で、オリンピックの話が一段落すると、葬式の話に。 「まー、今年70歳だから、6年後のオリンピックはなんとか観られるかもしれないけど、死んだら、葬式は明るくやって貰いたいと思ってんの。
だいたい、葬式って暗いじゃん?葬式の時くらいしか着ない黒いスーツ着て、暗い顔してさ。そういうのイヤじゃん。
だからアロハとかジーパンとか、黄色とか赤のシャツ着てさ、“お前の代わりに飲んでやる”って酒持ってきて皆で楽しく飲む、みたいなね。そういうのが良いよね。 戒名もいらない。
ポ○チンEGとかで良いよ。あんなのに高い金払うんなら、ホテトル呼んで一緒に棺桶入ってさ、“最後の添い寝”、とかして貰った方が良いもん(笑)。ホテトルは居心地悪いだろうけど」
と、ワイワイと飲んでましたが、楽しい葬式は大賛成で自分もそうあって欲しいと思うけど、オリンピックはもちろん、この先、ずーっと長い間、一緒に楽しく飲んでいこうね、EGちゃん、と思った夜でした。
*ほとんど忘れてしまう飲み屋での話。覚えてるうちに書き留めようシリーズ。