『国家と「私」の行方』著:松岡正剛 読了

年末年始をほとんど感じなかった

2016〜2017年。普通に仕事をしたり、新年早々ミスったり。
朝からお酒は飲んでましたけどね(十分正月っぽい)。

あけましておめでとうございます。

正月だからといって何か特別なことをした訳ではないのだけれども、

松岡正剛氏の『18歳から考える 国家と「私」の行方』を読了。

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これは、東巻(日本とアジアと資本主義列強の近代的出発点の矛盾〜本文抜粋〜)と西巻(中東問題や大衆ポピュリズムやネット社会にあらわれた現在の矛盾〜本文抜粋〜)の2冊で完結する全14講からなる本なのだけれども、本当にすばらしい。18歳の自分に読ませたい内容。
本書は、タイトルにも18歳とあり、文中にも、18歳の諸君、といったような呼びかけがあるように18歳の人たちに呼びかけているが、不勉強な不惑の自分には刺激的かつ発見と整理がされていき一気読み。

自分は授業の歴史が嫌いだった。

面白い時もあるんだけれども、結局、テストの為に覚えなければならない、というツマラナサを感じていたから。
本書にも、受験の為の歴史の勉強は無意味、のような事を書いているが、受験制度、教える内容も含めてツマラナイからだと改めて思った。

授業の歴史と本書の内容は何が違うのか?それは乱暴に言うと、日本史と世界史と東洋史、そして文化や宗教的背景が混ぜこぜで展開していくから。
混ぜこぜといっても、もちろん松岡正剛氏のインタースコア編集によってエンターエデュケーション(エンターテイメントとエデュケーションみたいな)な感じの仕上がり。
日本では米騒動、その頃ヨーロッパでは○○、中東では○○、その中東の動きの胎動は○○の頃から始まっていて、9.11、今尚続いている、みたいな群像劇な展開。
学校で習う歴史は視点が1点とは言わないまでも少なかったからなんかツマラなかったんだ。

授業の歴史や受験、お勉強的な歴史がツマラナイとはいえ、そこである程度擦ってるので、登場人物とか固有名詞がわからないということは少なかった。なんだかんだで学校の勉強も役には立っているのかなとも思いはした。

「歴史的現在」めぐる視座、ダイナミックな見方、

インンターネットによって色んな情報が氾濫するなかでの視点、日本とは?など、ヒントがたくさん散りばめられていると思う。
18歳の自分が読んでいたらどうなってたんだろう?
以外と、当時の自分は勉強っぽく感じて読まなかったりして。。。

本書では、インターネットの出現によって世の中がどうなったか?にも触れているのだが、ちょうど読み終わる頃に、新年のメタップス 佐藤航陽氏のブログが更新され考え方的にシンクロしているような気がして面白かった。

『18歳から考える国家と「私」の行方 〈東巻〉: セイゴオ先生が語る歴史的現在』
第1講 歴史的現在と編集力
第2講 「みんな」と国家と資本主義
第3講 プロテスタントとリヴァイアサン
第4講 華夷秩序の中の将軍の国
第5講 ナポレオン・アヘン戦争・国民国家
第6講 なぜ列強は開国を迫るのか
第7講 明治日本とアフリカ分割

『18歳から考える国家と「私」の行方 〈西巻〉: セイゴオ先生が語る歴史的現在』
第8講 はたして社会は進化しているのか
第9講 二〇世紀の哲学と文学が暗示したこと
第10講 「イギリスのまちがい」と「日本の失敗」
第11講 アメリカの資本主義と大衆の力
第12講 インターネットとイスラム主義の問題
第13講 歴史認識問題と日本の語り方
第14講 編集的世界観を求めて