自分が初めてインタビューした人、それは「遠藤ミチロウ」さん

ザ・スターリン

は、やっぱり格好良く、「」とか「ロマンチスト」とか、時々聴いたりなんかして。
ステージから豚の臓物投げたり、過激なパフォーマンスなイメージでメディアに出ていたようですが、その頃の自分は小学生か中学生、その上、北海道の田舎町にいたので、リアルタイムで知る由もなく、高校くらいで出会った、ザ・スターリン、遠藤ミチロウというのはある種”伝説の人”、みたいな感じなわけです。

そんな出会いから数年後、ダイヤルアップ接続とか、

やっとブロードバンドっていう言葉を耳にし始めた頃、インターネットで動画番組を流す(64k、320k、500kな感じの時)、みたいな仕事していた時、コンテンツが足りないという良く聞くような話になり、自社でできることはやろうとなり、何かやれ、という話になるわけで。

どうせだったら好きなことをやろうと、ライブハウスにオススメバンドの映像を借りて流したらライブハウス側もバンド側も宣伝になるし、観る方もライブハウスで人気のバンドを知れるっていうことで良いんじゃないか?と、ライブハウスにお願いに回ってみた。

そんなに巧く行くはずもなく

「インターネットで動画?誰が観るの?」
「そんな話あんまり聞いたことがないからやらない」
みたいな感じでことごとく断られる日々。(一人の店長さんだけ色々相談にのってくれたなぁ、下北の)
youtube、Ustream、abemaTVなどがある今じゃ考えられない感じもありつつ。
(逆に、あるから今でも難しい話ですね、誰でもできちゃうから発信力がないと)

こうなったら、好きな人に会いに行こう!と公私混同し始める自分。そう思った時に思い出したのが、1998年の寿町フリーコンサート。

ソウルフラワーユニオンと遠藤ミチロウが出る

というなら、もちろん行くでしょ、ということで仲間と行った。

現場に着くと、今まさに遠藤ミチロウの出番。

お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました

と叫ぶ、遠藤ミチロウ。

その迫力に鳥肌!物凄いモノを観てしまった!というショックというか感動というか、、。
その時の衝撃を思い出した自分は、ダメもとで遠藤ミチロウにコンタクトを取った。

当時は渋谷にあったアピアに電話をした。
細かいことは覚えていないが、こちらの熱意(ただのファン)が伝わったのか、遠藤ミチロウへのインタビューとライブ映像(録画)の配信のOKをいただいた(!)。

いよいよインタビュー当日、アピアの楽屋でのこと。

普段そんなに緊張しない自分が、物凄い緊張したのを覚えている。
インタビューも初めてだし、スタッフいないから、カメラもセッティングも全部自分でやらなきゃダメだし、相手はあの遠藤ミチロウだ。
ステージ上で暴れまくり、臓物を客席に投げ、叫ぶ人だ。
何か、間違えでもしたら怒られる、ひょっとしたら殴られるかもしれない、そんな風に思っていた。

ガッチガチで挨拶すると、思っていた人物像とは全く逆で、穏やかな口調で物腰柔らかい。
照明のセッティング場所に困っていると、
「狭くて撮影し辛い場所ですみません。ここに置いたらどうですか?」
と、勝手知ってる遠藤ミチロウさんがアドバイスしてくれるという場面も。

この瞬間、というか出会った瞬間から、パンクのカリスマヒーロー遠藤ミチロウは自分の中で、遠藤ミチロウさん、という尊敬と勝手に好意を持った、”さん”付けをする対象となった。

とはいえ、ぶっちゃけ、

どんなインタビューをしたのかは、さっぱり覚えてない。
”さん”付けしたからって、ただのファンである。。。浮かれていたのは間違いない。
遠藤ミチロウさんは自分が初めてインタビューした人であるとともに、最初にサインを貰った人でもある。

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ガチガチに緊張して、怖がっていつつも、当時の新譜を持って行った自分はちゃっかりしていると思う。
このサインを貰って以降、自分からは誰にもサインをお願いしたことはない。
何故だかはわからないけど、宝モノであることは間違いない。

配信とか聞き放題が当たり前になっていくなか、CDとかレコードにサインをして貰う機会は少なくなっていくんだろうなぁーと思ったり。

還暦をとうに過ぎた今尚、勢力的に飛び回る遠藤ミチロウさん。
youtubeとかで元気な姿を観て勝手に安心してるだけじゃなく、ライブ観に行かなきゃ!
(*9月19日(月)ライブだったんじゃん!。。。という反省を込めて。。。)