サバイバルファミリーを観に行って思う、子どもと社会の接触ポイント。
娘と2人きりの休日、
映画を観たいと言い出すので、何を観たいか尋ねると
「サバイバルファミリー!ずっと観たいと思ってたの!」
と、おっしゃるので連れて行くことに。
「なんかね、わからないけど電気が無くなって、汚い水飲んだらお腹壊すんだって」
と、なんとなく内容も知っている様子。
何時上映のを観に行こうか?と調べてみると、前日に公開されたホヤホヤの作品じゃないか。
娘は何で知っていたのだろう?と不思議に思いながら、午前中は友達と遊ぶというので、一人ぼんやりテレビを観ていると、CMが流れた。
もちろん、サバイバルファミリーのである。
あー、テレビか。。。
と納得。
CMの内容も娘が言っていたような内容だった。
このCMを観て観たいと思ったんだ。
小学生が知りうる情報元、社会との接点は、授業、先生との会話、友達との会話、教科書や図書館の本、など学校に纏わるものというくくりがひとつ。
インフルエンザの情報なんかは、5年生で3クラス、4年生で2クラス、とか徐々に増え、
「昨日ついに、隣の組まで来たよ!怖いね!」
などと、学校という狭い社会の情報は事細かに教えてくれる。
先日のバレンタインデーあたりになると、○○ちゃんは○○くんが本命らしい、とか。
今はなんとなく話してくれるから、学校という自分には知り得ない小さな社会のことがわかるけれども、映画、芸能、ニュースなどなど、学校よりずっと大きな社会との接点って、小学生(スマホを持たない)にとっては、少ないもんだよなぁと。
家庭でのくくりだと、
親との会話、親の観ているテレビや音楽、自分で観るテレビ、音楽、漫画、本くらい。習い事先でのコミュニケーション。
学校と家庭、まぁ、だいたい自分が子供の頃と一緒な感じ。
前思ったのと同じで、テレビの影響力ってすごいんだと思うわけで。
誰が言ったか知らないけれど、女、子どもが動けば、モノゴト動く、とはよく言ったもので、今回でなぞると、子どもが行きたいというから、親も動いてサバイバルファミリーを観に行ったわけで、あのCMは確実に自分らを動かしたのである。
番組の間に流れるCM、テレビ観てたら観てしまうCM、もう自然に溶け込んでるからなぁー。
テレビ番組自体の影響というのもある。
友人が結婚した、という話をしてると、
「一般人?」
と聞いてくる。
一方で、
直接ではないけれども、ネットでの情報収集もしている。
我が家の場合、娘が新しい楽譜とにらめっこしていて、先に進めない時、
「ここがよく分からないから、ケータイで検索して聞かせて」
と言ってくる。
オヤジがオペレーターとなり、検索して聞かせる。大抵、誰かが子どものピアノの発表会の様子をアップしている。
無事、先に進めて解決。とか、星野源の恋ダンスがみたい!とか。
この場合、オヤジが介在しているから、CMがあろうが娘の観たいものしか見せない。子どもが広告を見ることはほぼない。
話は逸れるけど、○○っていうゲームをケータイに入れてというのもある。
この場合の情報元はTVCM。
子どもがスマホで検索しはじめたら楽しいと思うだろうなぁと(その為にも、漢字覚えたりしようとも思う)。
TVが本当とは言わないけれど、ネット上にはウソもホントもトンデモも色々あるから、色々教えて使わせないと、、、というのはやっぱり思いますねぇ。
自分が子どもだった頃と比べて、良いも悪いも圧倒的に社会との接点が多いから大変かも。スマホも何でも使えるモノは使っていかなきゃと思うので、多いに使っていただきたいけど、使い方は間違って欲しくないなぁ。
Yahoo!の安宅 和⼈さんの資料「“シン・ニホン”AI×データ時代における⽇本の再⽣と⼈材育成」にあるように、
⼤半の⼈が思っているより遥かにはやく変化は起きる
というのは実感するなぁ。
で、映画はどうだったか?
というと、個人的には、人間力、大切なもの、に気づくって大切だし、忘れがちだなぁと、面白おかしく感じさせてくれる良い映画でした。
大地康雄さんの良い感じといったら。。。。素敵だったなぁ。
ネットやらAIやらデータやら、あらゆるモノを使い倒して行く時代でもあるんだけれども、映画でもそうだったけど、帰宅してからかみさんに一生懸命映画の説明をする娘の姿をみて、人間はやっぱり人間なのだろうなぁと。